第71

1月号


シネマ ファシスト 第71回 2008年1月号
『グミ・チョコレート・パイン』


 去年から今年にかけてしばらく映画を見ることがなかった。見なければ見ないで時は過ぎてゆく。12月22日の初日の後、しばらく宣伝する作品もなかったので、仕事上でも映画を見ない日々が続いた。見なければ見ないで時は過ぎてゆく。そしてようやく2ケ月ぶりに『グミ・チョコレート・パイン』を見た。

 近頃、青春、青春時代あるいは青春映画という言葉はあまり聞かれなくなった。いくら少子高齢化の世の中とはいえ20歳前後の若者は何百万人もいるはずなのに、その言葉はほとんど使われなくなってしまった。この映画は2007年の現代から21年前の1986年、40歳をやがて迎えるまでになった中年男が、高校時代を振り返るという構図を取っている。確かに「これがオレの『ニュー・シネマ・パラダイス』だ」という台詞もあったように思う。主人公及びその周囲の人たちは、高校時代に好きだった女の子が映画デビューすることを除けば、どこにでもいる市井の人々である。現代の馘首や痴呆、高校時代の映画、バンド、8mmなどあたりまえの高校生であり、中年男である。描かれているのは何ら特殊な青春でも中年でもない。それが共感をを呼ぶ。映画の構成が、現代と1986年が交互に描かれているので、エピソードの羅列という印象は拭えないが、1つ1つはかつて私もああだったと腑に落ちる要素である。現代を現代として、過去を過去としてまとめて描けば、1つ1つの印象は強くなったとは思うが、しかし、恋愛以外で青春を普遍化する作業は並大抵ではない。やがて自殺するかつて好きだった女子高校生の死は主人公とは離れてからのことであり、高校当時、好きとは言えなかったが、それもこれも主人公大森南朋にとっては十全な高校時代であった。
 
青春バンド物は成功してしまっては共感を得られないので挫折せざるを得ない。そうすることで多くはエピソード集になってしまう。

たった1つを描く青春映画は70年代に任せ、笑いという要素を入れるために、このようなエピソード集にせざるを得なかったのだと思う。しかし1つ1つに思い当たることで、この映画は成功した現代の青春映画である。

●市井義久の近況● その71 2008年1月 

 昨年12月22日に公開し1月25日まで上映した『北辰斜にさすところ』は、私がライスタウンカンパニーを設立して8年目、50本目の記念すべき作品であった。作品はともかく、昨年の10月からここ5ヶ月間、三國連太郎と行動を共に出来たことは、刺激的で幸福なことであった。父が生きていればちょうど同い年。生の三國連太郎を見たのは決して、初めてではないが、こういう人であるとは思わなかった。吉田喜重『人間の約束』の時は現場で挨拶くらいであったので知る由もないが、ともかく孫を戦場に送ってはならないというポリシーで生きている。私は監督、シナリオライター、カメラマンには興味があるが、役者に対してはまったく興味がなかった。しかし三國連太郎、『飢餓海峡』、ラスト連絡船から海へ飛び込むシーンでは、はっと息を飲んだ。
又『戒厳令』の北一輝役も忘れることができない。85歳でちょい役ではなく、年何本かの主演級の映画、それだけでもすごいが、言いたくないことは言わず、やりたくない仕事は断る。長生きはするものである。出自、徴兵忌避、戦場では2年半1発の銃弾も撃たなかったこと、そして他人になりすましての日本への帰還、闇屋、50代で借金まみれで3度目の結婚と平気で言ってのけ、映画は人生に対するプレゼンテーションであると言う。並の85歳ではない。平和を生きた85歳ではなく、平和を希求し、戦争を拒否する85歳である。役者も偶然の産物と言い切るが、私とは生きてきたバックグラウンドが異なるのだと思う。
時間で言えば85年間、地域で言えば九州から関東、そして青島、満州と、職業も闇屋を含め、兵士から俳優までと幅が広い。ともかく振り幅の大きな人である。だからある程度の役はすべてこなせるのだと思う。語られる監督は5人、今井正、家城巳代治、内田吐夢そして今村昌平、相米慎二。今村昌平も現場では面白い人だったが、何物をも恐れない。三國連太郎もそういう人とともに居たから、そういう人になったのだろうと思う。平然とのんしゃらんと何者をも恐れない、それが三國連太郎と、12月3日の完成披露試写会、12月9日のトークショー、12月22日の初日、そして20本の取材を通じての私の印象である。
 12月22日何百回となく舞台挨拶をこなしてきたであろう三國連太郎が、シネマスクエアとうきゅうのステージで涙ぐんでいた。そういう人である。
 年が明けて1月28日毎日芸術賞特別賞の贈呈式で再び三國連太郎にお会いした。挨拶では74歳とシャアシャアと言ってのけた。



市井義久(映画宣伝プロデューサー)

1950年新潟県に生まれる。 1973年成蹊大学卒業、同年株式会社西友入社。 8年間店舗にて販売員として勤務。1981年株式会社シネセゾン出向。 『火まつり』製作宣伝。
キネカ大森番組担当「人魚伝説よ もう一度」「カムバックスーン泰」 などの企画実現。買付担当として『狂気の愛』『溝の中の月』など買付け。 宣伝担当として『バタアシ金魚』『ドグラ・マグラ』。
1989年西友映画事業部へ『橋のない川』製作事務。 『乳房』『クレープ』製作宣伝。「さっぽろ映像セミナー」企画運営。 真辺克彦と出会う。1995年西友退社。1996年「映画芸術」副編集長。 1997年株式会社メディアボックス宣伝担当『愛する』『ガラスの脳』他。

2000年有限会社ライスタウンカンパニー設立。同社代表。

●2001年 宣伝 パブリシティ作品

3月24日『火垂』
(配給:サンセントシネマワークス 興行:テアトル新宿)
6月16日『天国からきた男たち』
(配給:日活 興行:渋谷シネパレス 他)
7月7日『姉のいた夏、いない夏』
(配給:ギャガコミュニケーションズ 興行:有楽町スバル座 他)
8月4日『風と共に去りぬ』
(配給:ヘラルド映画  興行:シネ・リーブル池袋)
11月3日『赤い橋の下のぬるい水』
(配給:日活 興行:渋谷東急3 他)
12月1日『クライム アンド パニッシュメント』
(配給:アミューズピクチャーズ 興行:シネ・リーブル池袋)


●2002年

1月26日『プリティ・プリンセス』
(配給:ブエナビスタ 興行:日比谷みゆき座 他)
5月25日『冷戦』
6月15日『重装警察』
(配給:グルーヴコーポレーション 興行:キネカ大森)
6月22日『es』 
(配給:ギャガコミュニケーションズ 興行:シネセゾン渋谷)
7月6日『シックス・エンジェルズ』
8月10日『ゼビウス』
8月17日『ガイスターズ』
(配給:グルーヴコーポレーション 興行:テアトル池袋)
11月2日『国姓爺合戦』
(配給:日活 興行:シネ・リーブル池袋 他)

ヨコハマ映画祭審査員。日本映画プロフェッショナル大賞審査員。

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