第73

3月号


シネマ ファシスト 第73回 2008年3月号
『タカダワタル的 ゼロ』


 「いせや物語」である。朝起きて近所のアパートから奥様に送られていせやに飲みに行く。その後コンサートやらがあっても、ほぼ毎日?のいせや通いである。2006年9月25日のいせや閉店、そして取り壊しでこの映画は終る。そうか高田渡は朝起きると出勤するように奥様に見送られていせやで飲んでいたのだ。

 私が通ったのは1969年から4年間、それも週1回行く学生として、金が無かったからいせやになっただけである。映画の中のメニューを見ると300円くらいが最多だが、当時は学生が週1回行けたのだから100円か200円、皆は愛着を込めていせやではなくグァム島と呼んでいた。それも学生がゾロゾロ行くので2Fが多く、というより1Fは常時常連に占拠されていた。4年経って働くようになると、吉祥寺には住んでいたが峠などへ行くようになっていせやからは足が遠のいた。当時ぐぁらん堂とかも行ったが、あまり、覚えていない、従って私には高田渡のいせやである。

 それからもう1つ、『吉祥寺発赤い電車』、私は歌のタイトルだと思っていた。ちょっとだけだったら今も歌える。それが記録映画だったとは。
 私はこの映画でこの2つの事を発見した。

 5月10日(土)より公開。

●市井義久の近況● その73 2008年3月 

 宮崎和昭さんが昨年12月25日に亡くなった。
享年60歳。1月2日の61歳の誕生日も待たず。
1976年、第3回湯布院映画祭で出会ってから30年の付き合いである。30年に渡る湯布院映画祭で出会った人の中で私に最も強い印象を残した人の1人である。あの人に勝るのは故田村孟くらいである。信念の人であった。唯我独尊の人であった。思い込みの人であった。独り善がりの人であった。私によく似ている。子供に吐夢、泰という名前を付け、三男が生まれたら次は清順だと言っていた。おもしろい映画しか認めず、おいしい酒しか飲まず、その2つに囲まれた60年であった。自宅は酒屋、お店には映画のポスターをめぐらし、竹林を模し、まるで映画のセットのようであった。買物に来た人が「えっ酒屋さん?」とリアクションするのを喜んでいた。湯布院映画祭に車で自宅から持ってくる酒は、どれもおいしかった。彼が薦める映画はどれもおもしろかった。写真もうまかった。『関の弥太っぺ』の彼岸花を配して奥様を写した写真はとびっきりの美人であった。私を写した写真もコンクールで賞を貰ったと言っていた。
 以前は夏には必ず湯布院で会えたのが、家庭の事情でここ10年は電話と年賀状になっていた。そして一昨年の湯布院映画祭で会ったのが最後になってしまった。私の血と肉の一部は明らかに宮崎和昭によって作られた血と肉である。残念、病気とは言えまだ60だろうに。
 毎年夏には湯布院に現れていた人が、30年も経つと、1人2人と現れなくなる。しかし宮崎まだ60だろうに、合掌。2月23日2ヶ月も経ってから奥様へ電話を入れた。途中から涙が止まらなくなって、失礼なことに途中で電話を切ってしまった。その日は偶然にも偲ぶ会。又又合掌、いや感謝。
 2月13日には市川崑が亡くなった。享年92歳。私は『新撰組』1本だけであった。タバコと肉の人であった。



市井義久(映画宣伝プロデューサー)

1950年新潟県に生まれる。 1973年成蹊大学卒業、同年株式会社西友入社。 8年間店舗にて販売員として勤務。1981年株式会社シネセゾン出向。 『火まつり』製作宣伝。
キネカ大森番組担当「人魚伝説よ もう一度」「カムバックスーン泰」 などの企画実現。買付担当として『狂気の愛』『溝の中の月』など買付け。 宣伝担当として『バタアシ金魚』『ドグラ・マグラ』。
1989年西友映画事業部へ『橋のない川』製作事務。 『乳房』『クレープ』製作宣伝。「さっぽろ映像セミナー」企画運営。 真辺克彦と出会う。1995年西友退社。1996年「映画芸術」副編集長。 1997年株式会社メディアボックス宣伝担当『愛する』『ガラスの脳』他。

2000年有限会社ライスタウンカンパニー設立。同社代表。

●2001年 宣伝 パブリシティ作品

3月24日『火垂』
(配給:サンセントシネマワークス 興行:テアトル新宿)
6月16日『天国からきた男たち』
(配給:日活 興行:渋谷シネパレス 他)
7月7日『姉のいた夏、いない夏』
(配給:ギャガコミュニケーションズ 興行:有楽町スバル座 他)
8月4日『風と共に去りぬ』
(配給:ヘラルド映画  興行:シネ・リーブル池袋)
11月3日『赤い橋の下のぬるい水』
(配給:日活 興行:渋谷東急3 他)
12月1日『クライム アンド パニッシュメント』
(配給:アミューズピクチャーズ 興行:シネ・リーブル池袋)


●2002年

1月26日『プリティ・プリンセス』
(配給:ブエナビスタ 興行:日比谷みゆき座 他)
5月25日『冷戦』
6月15日『重装警察』
(配給:グルーヴコーポレーション 興行:キネカ大森)
6月22日『es』 
(配給:ギャガコミュニケーションズ 興行:シネセゾン渋谷)
7月6日『シックス・エンジェルズ』
8月10日『ゼビウス』
8月17日『ガイスターズ』
(配給:グルーヴコーポレーション 興行:テアトル池袋)
11月2日『国姓爺合戦』
(配給:日活 興行:シネ・リーブル池袋 他)

ヨコハマ映画祭審査員。日本映画プロフェッショナル大賞審査員。

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