第74

4月号

シネマ ファシスト 第74回 2008年4月号
『秋深き』 『接吻』
『奈緒子』


『秋深き』

 今年はまだ10本くらいしか映画を見ていないが、その中で一番面白かった。「この世も名残世も名残死に行く身を例うれば空ヶ原の草の露・・・」と呟いていたので、遺骨と心中する話かと思ったら、おっぱいが好きな男の、妻への愛の物語である。出会い、好きになり、結婚し、やがて妻が病死する。ありきたりな一組の男女の話である。映画としての物語をよくも成立させたものと思う。織田作之助という原作はあるが、脚本の西岡琢也の功績、それを淡々と演出した池田敏春のキャリア、それらを取りまとめた本多俊之の音楽。この3人は『人魚伝説』である。だから、男が女を愛する思いが画面からひしひしと伝わる。『人魚伝説』は女が、白都真理が男のために動いたが、『秋深き』は男が、八嶋智人が、女の、佐藤江梨子のために動く。
 延命のためにまさに動き回る。お百度参り、サラ金、競馬、死する妻へと賭ける一枝、1、4。ファーストシーンがカラオケという前者の名残を残しながら、男の救いたいという思いが、女へと疾駆する。親、同僚、元恋人、ホテルの隣の宿泊客と、細かい出入りはあるが、基本的には男女一組の物語である。渋谷天外にしろ佐藤浩市にしろ赤井英和にしろもっと使いたかったと思う。しかしそれらは最少の出入りにして、好きになり、結婚し、妻と死別するという、ありきたりでありながら、その一直線の過程での男の強い思いを、あえて『夫婦善哉』のように淡々と見せることで監督の女性への思いが充分に伝わる映画である。

 公開はやがて深い秋。


『接吻』

 異形な話である。女1人と男2人、いわゆる三角関係である。また1人の女に翻弄される男2人。しかしその3人が、死刑囚とその弁護士、そして死刑囚と唯一心を通わせる女性となると、やはり異形である。理由なき殺人、テレビによる犯罪告知、テレビによる逮捕の実況中継、それらは現代では現実であれフィクションであれ特筆する現象ではない。しかし1人の女性が、犯人が逮捕される時の微笑みに魅了され、調査、傍聴、面会、拘置所での睡眠、涙、結婚と進行するに至っては、それを凝視により検証せざるを得ない。我々はスクリーンを凝視する。舞台は路上、アパート、事務所、裁判所、拘置所などわずかである。我々は、そこで展開されるこの映画の場面、場面を謎を解くようにではなく、それらを納得するように、凝視する。舞台が群馬県へと動く。死刑囚の兄が登場し、弁護士と女性での聴取。その後の弁護士と女性の対話。この2つでようやく異形を見定めたように思った。異形もここまで…。
 しかし映画はふたたび動いて、笑い、睡眠、結婚からさらに殺人、接吻へと転移してゆく。女はなぜ死刑囚を刺したのか。女はなぜ弁護士に接吻したのか。死刑ではなく自分で殺し、自分も自死あるいは死刑になりたかったのか。又、弁護士に対しは刺したのか、接吻を試みたのか判然とはしない。それは、ラスト女が、弁護士に対し「放っといて」と言ったのか「私をかまって」と言ったのか、判然としないかのごとくである。
 元来この3人に対者は存在しない。この世に生を受けたという関係を除いて、物以上の意味を持つ他者は存在しない。その3人がこのような抜き差しならぬ関係で出会い、本来存在しないはずの他者を求めはじめたことで、異形の三角関係がつくられた。我々はそれを凝視するしかない。

 3月はやくも傑作である。


『奈緒子』

 運動は苦手ではないが、短距離にしろ、長距離にしろ、 ただ走るというのは苦手である。 そのくせテレビのマラソンや駅伝を見ては涙を流している。 なぜだろう。高校生が走る映画である。 人間が走っている訳だから、色々な思い、感情、境遇を抱えている。 しかし全てのスポーツがそうであるように、走るときは走るだけである。 父が事故で死んだ三浦春馬、その原因をつくった上野樹里、 ガンで余命幾許もない笑福亭鶴瓶、気が弱い宮川一人、 自分が嫌いな柄本時生、速く走れないタモト清嵐ら、しかし走る時は走るだけである。 皆が抱えている問題が、走ることによって映画の中で解決する訳ではない。 自分のせいで人が死んだと思っている上野、 上野のせいで父を亡くしたと思っている三浦、 残り少ない生を生きる笑福亭。それは2時間の映画が終っても、 そのままである。しかしともかく駅伝ゆえに皆で走った。 1つの駅伝を皆で走り切り、嬉しいことに優勝もした。 その事が、個人にも今までとはちょっと違う結果をもたらす。 鶴瓶は死んだ。上野は東京へ戻った。 それでも皆は走っている。 頼るものなし、独りっきりで走っている。それが泣ける。
 『サード』にしろ、『800 TWO LAP RUNNERS』にしろ、 走る映画には傑作が多い。フィルムが上下の運動であるのに対し、 走ることが左右の運動であるせいか。いやただ走ることに、 ただひたすら生きることを見るせいであると思う。

●市井義久の近況● その74 2008年4月 

 毎年春になると思い出す事がある。春の受験シーズン、私は18歳の時に大学受験のため、はるか新潟の山奥から母方の祖母の妹の嫁ぎ先である、お茶の水の藤田さんというお宅にお世話になった。それが生まれて3回目の東京であった。受験から発表まで2週間くらい滞在した。それっきりになってしまったが、何十年か前、たまたま前を通りかかって、その頃はその家を確認した。受験から40年、神保町に出かけたついでに、おそらくもう存在しないであろう、その家の前を通ってみた。2階の窓からニコライ堂が真ん前に見えた家である。附近は様変わりしていた。巨大なビルばかりでもう存在しないであろうと思っていたその家が5階建てのフジタビルとして存在した。ビルに建て替えられてはいたが、周囲の巨大なビルに挟まれて、押しつぶされそうである。その当時は1階が家業の印刷屋さん、2階が住居で4人家族であった。誰かは今でもここに住んでいるのであろうか。
40年経っても変わっていないのは、ニコライ堂と、ビルにはなったが藤田宅、周囲は大学にあっても、もう昔の面影はない。2週間、受験と合格発表を見に行く以外、3回目の東京であったのに見物もせず、何をしていたのだろう。拝借した娘さんの部屋で終始窓からニコライ堂を見ていたことしか覚えていない。
 これを神保町のエリカで書いている。今だ存在した。エリカはタクシーの運転手のおじさん達の溜まり場であった。
 ラドリオもまだ存在していると言う。やはり私も在り続けるだけである。



市井義久(映画宣伝プロデューサー)

1950年新潟県に生まれる。 1973年成蹊大学卒業、同年株式会社西友入社。 8年間店舗にて販売員として勤務。1981年株式会社シネセゾン出向。 『火まつり』製作宣伝。
キネカ大森番組担当「人魚伝説よ もう一度」「カムバックスーン泰」 などの企画実現。買付担当として『狂気の愛』『溝の中の月』など買付け。 宣伝担当として『バタアシ金魚』『ドグラ・マグラ』。
1989年西友映画事業部へ『橋のない川』製作事務。 『乳房』『クレープ』製作宣伝。「さっぽろ映像セミナー」企画運営。 真辺克彦と出会う。1995年西友退社。1996年「映画芸術」副編集長。 1997年株式会社メディアボックス宣伝担当『愛する』『ガラスの脳』他。

2000年有限会社ライスタウンカンパニー設立。同社代表。

●2001年 宣伝 パブリシティ作品

3月24日『火垂』
(配給:サンセントシネマワークス 興行:テアトル新宿)
6月16日『天国からきた男たち』
(配給:日活 興行:渋谷シネパレス 他)
7月7日『姉のいた夏、いない夏』
(配給:ギャガコミュニケーションズ 興行:有楽町スバル座 他)
8月4日『風と共に去りぬ』
(配給:ヘラルド映画  興行:シネ・リーブル池袋)
11月3日『赤い橋の下のぬるい水』
(配給:日活 興行:渋谷東急3 他)
12月1日『クライム アンド パニッシュメント』
(配給:アミューズピクチャーズ 興行:シネ・リーブル池袋)


●2002年

1月26日『プリティ・プリンセス』
(配給:ブエナビスタ 興行:日比谷みゆき座 他)
5月25日『冷戦』
6月15日『重装警察』
(配給:グルーヴコーポレーション 興行:キネカ大森)
6月22日『es』 
(配給:ギャガコミュニケーションズ 興行:シネセゾン渋谷)
7月6日『シックス・エンジェルズ』
8月10日『ゼビウス』
8月17日『ガイスターズ』
(配給:グルーヴコーポレーション 興行:テアトル池袋)
11月2日『国姓爺合戦』
(配給:日活 興行:シネ・リーブル池袋 他)

ヨコハマ映画祭審査員。日本映画プロフェッショナル大賞審査員。

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