第76

6月号

シネマ ファシスト 第76回 2008年6月号
『ブレス』


 見たこともない映像である。刑務所の面会室、声を通すための幾つかの穴、そこから奪われる女の髪の毛1本、その髪の毛1本が、春・夏・秋ごとに女から渡される写真へと連なり、最後はサルバトーレ・アダモの「雪が降る」で終る。

 ブレスというタイトルを持つように、印象に残るのは両者の息遣いと演出された季節の息吹である。死刑囚と主婦、出会うはずのない2人が、一瞬の心の共振幻想によって出会い、主婦は刑務所内で、演出された春、夏、秋の四季に出会いを繰り返す。主婦はそのたびに、面会室に季節を現す壁紙を張り音楽を流し、夏は扇風機、サングラス、浮輪なども用意し、会話し、歌まで唄うが、刑務所内で自殺を企てた死刑囚は声も出ない。ただ雑居房での時と同じように息遣いが聞えるばかりである。同様主婦も家庭では声は無い。冬、演出を禁じた何も無い部屋で2人は結ばれる。

いやそれは、刑務所内の面会室のため判然とはしない。接吻は、主婦が死刑囚の舌を、噛み千切ろうとしているようにも見える。そして主婦は外界へ、そこでは不和の夫と娘が雪だるまを3個作っている。その3つの父と母と娘を模した雪だるまは仲睦まじそうに見える。それゆえこの家庭はもう元に戻る事はなく、「雪が降る」が静かに流れる。死刑囚は内界へ雑居房へ、同房者と計4人その中で再び自死の企てへと戻る。

 刑務所で同房者3人とともにいる死刑囚、新興住宅地で夫と娘と暮らす主婦、出会うはずのない2人が、演出された春と夏と秋に出会い、冬、一瞬の生(性)とも言える激しい息遣いだけを残して、そしてまたそれぞれの現実へと戻ってゆく。人を愛することは、こういうことであろうと2人が体現している。

 『ブレス』は5月3日から公開されて通常興行は5月30日まで。劇場はシネマート六本木他、私が見た日曜日の1時15分の回は、26人、私は面白い映画を独占したいとは思わない。キム・キドク、チャン・チェンによるこのテーマに共鳴した人が、たったこれだけというのは、映画の面白さに比較し残念な気持ちである。もっとたくさんの人と『ブレス』を見たかった。


●市井義久の近況● その76 2008年6月 

 1月は半年分の新聞を読んでいた。2月は窓からじっと光の春を見つめていた。3月に入って、2003年4月、予定していた作品が急に2本飛んで、営業をして以来5年ぶりに営業を開始した。注文が無いからといって、遊んでいるのも3ヶ月が限度、御用聞きである。

 4ヶ月間仕事が無かったのはこの会社を設立して以来初めてである。2003年は、7月1ヶ月間だけであったが、今回は4ヶ月も。去年注文のあった1月から5月までの5本の作品を全て断わったので、皆は天罰と言う。

 11時に会社に来て、いつものように事務所の掃除をして昼食をとり7時まで、1日8時間があっという間であった。前の作品が12月22日初日であったので、1月中は追パブと言われる仕事をしていたが、さすが2月に入るとその作品は3月21日まで上映していたが、追パブもなくなるので、今までの仕事の整理をしていた。〆切がある訳ではないので追い立てられることもないが、1日8時間が明確な実績も無いのに、あっという間であった。電話がドンドンかかってくる訳ではない。その逆にこちらからバンバン電話をする訳でもない。メールが頻繁な訳でもない。書類づくりにあくせくすることもない。スケジュールも、週の半分は真っ白である。なのになぜ、1日がこうも早いのか。

 又、このまま仕事がないと首を吊るしかないのに、なぜ1日が五月晴れのように穏やかで爽やかなのだろう。快適にさえ過ぎてゆく。会社への入金は1月10日を最後に無くなった。2月3月4月5月6月と入金が無く首を吊るしかないのに、なぜここまで安息の気配なのか。いやなことは考えたくないので、2月、3月、4月は7時以降はビールを飲むか、映画を見るか、テレビを見るかしていた。テレビではテレビ朝日の「警視庁捜査一課9係」は発見であった。それでも仕事が無くなる、金が無くなるという恐怖はなかった。全ては天命、そう思って58年間も過ぎ、これからもこうやって生きてゆく。

 そして5月、ようやく8月初日の作品が動き出した。



市井義久(映画宣伝プロデューサー)

1950年新潟県に生まれる。 1973年成蹊大学卒業、同年株式会社西友入社。 8年間店舗にて販売員として勤務。1981年株式会社シネセゾン出向。 『火まつり』製作宣伝。
キネカ大森番組担当「人魚伝説よ もう一度」「カムバックスーン泰」 などの企画実現。買付担当として『狂気の愛』『溝の中の月』など買付け。 宣伝担当として『バタアシ金魚』『ドグラ・マグラ』。
1989年西友映画事業部へ『橋のない川』製作事務。 『乳房』『クレープ』製作宣伝。「さっぽろ映像セミナー」企画運営。 真辺克彦と出会う。1995年西友退社。1996年「映画芸術」副編集長。 1997年株式会社メディアボックス宣伝担当『愛する』『ガラスの脳』他。

2000年有限会社ライスタウンカンパニー設立。同社代表。

●2001年 宣伝 パブリシティ作品

3月24日『火垂』
(配給:サンセントシネマワークス 興行:テアトル新宿)
6月16日『天国からきた男たち』
(配給:日活 興行:渋谷シネパレス 他)
7月7日『姉のいた夏、いない夏』
(配給:ギャガコミュニケーションズ 興行:有楽町スバル座 他)
8月4日『風と共に去りぬ』
(配給:ヘラルド映画  興行:シネ・リーブル池袋)
11月3日『赤い橋の下のぬるい水』
(配給:日活 興行:渋谷東急3 他)
12月1日『クライム アンド パニッシュメント』
(配給:アミューズピクチャーズ 興行:シネ・リーブル池袋)


●2002年

1月26日『プリティ・プリンセス』
(配給:ブエナビスタ 興行:日比谷みゆき座 他)
5月25日『冷戦』
6月15日『重装警察』
(配給:グルーヴコーポレーション 興行:キネカ大森)
6月22日『es』 
(配給:ギャガコミュニケーションズ 興行:シネセゾン渋谷)
7月6日『シックス・エンジェルズ』
8月10日『ゼビウス』
8月17日『ガイスターズ』
(配給:グルーヴコーポレーション 興行:テアトル池袋)
11月2日『国姓爺合戦』
(配給:日活 興行:シネ・リーブル池袋 他)

ヨコハマ映画祭審査員。日本映画プロフェッショナル大賞審査員。

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