第78

8月号

シネマ ファシスト 第78回 2008年8月号@
『ぐるりのこと。』


 金がないなんて、実は取るに足らないことなのかもしれない。鎌倉?の庵主様が出てくるまでは、いやな事といやな人々だらけである。主人公の木村多江も、リリー・フランキーも。唯一まともなのは柄本明くらいである。木村多江、週3回とか、あらかじめセックスの日を決める女。リリー・フランキー、バイト先に来る客を次から次へと口説く男。その他の人々も切りがないので挙げないが、いやな感じの人が多い。もし鎌倉?からのシーンがなければ、これだけ客が入ることもなかったであろう。そこまでは不快の連続である。

 何回か食事のシーンが出て来る。そのたびに大惨事には至らぬが、食事も不快であることを絵で見せる。原作は無いということなので、脚本家が、ここ6年間?見聞きした現実の人間と事象を事細かに織り上げた成果であろう。そして、その不快感は、絵、優先で見せる監督の力量で際立つ。出版社に勤める木村多江が、書店で大き目の新刊本に嗚咽する場面など、私は鳥肌が立った。みそ汁にトンカツ定食のキャベツを入れて食べる寺島。バタバタしていたと言って新人をケアしない八嶋。作家の文章を勝手に改ざんする山中。それらに比較すれば、教え子(大人)にも手を出していたであろう、リリー・フランキーの無口と受けの姿勢は、唯一私の身近にもいる人間である。

 リリー・フランキーは22才で美術大学を卒業し、8年間バイトに明け暮れ、その後法廷画家と絵の教師へと進んだ。一方木村多江は、22才から15年以上編集者としての生活を送り画家へ。これでようやく同棲から20年を経て、夫婦らしくなった。ようやく最近の人間関係ではなく、気ままとも言える関係の基、互いのしっくりとした人物像が見えてきた。そのことで私も安心してこの映画を見終えることができた。さあ供にこれからだ。

シネマ ファシスト 第78回 2008年8月号A
『歩いても 歩いても』


 『歩いても 歩いても』が石田あゆみの「ブルーライト・ヨコハマ」とは気がつかなかった。そしてこの「ブルーライト・ヨコハマ」が、原田芳雄の浮気相手の女の部屋から流れていた曲であり、そのレコードを買ったのが樹木希林で時々聴いていたというのも意外である。

 この映画は私の思いとは微妙にずれている。主人公の阿部寛が子連れの女性と再婚したり、40歳を過ぎて車の免許を取ったり、再婚した夏川結衣との間に新しく女の子を儲けたり、私と同じような生活でありながら意外である。今から30年以上前のトウモロコシの件で機転を利かせたのは死んだ兄ではなく、自分であると強弁するあたりも私とのずれを感じ興味深く見る。

 3世帯9人とすし屋と無理矢理参加させる弔問客と亡き兄の生まれ変わりの黄色いモンシロチョウ。意外な人は登場しない。皆、日常生活の範囲の中である。せっかく重い目をして下げてきたスイカをスイカ割りに使う義理の弟も弟だが、まあ、そんな人もいる。

 『歩いても 歩いても』は見る私の想像からいつもちょっとだけずれている。老いた年月を表すはげた風呂のタイル、そのタイルから派生する顛末。だから私は1時間54分を見続けた。私もこのような家族、このような日本に取り込まれて60年。本来ならば『歩いても 歩いても』を見た日は、映画の舞台である三浦海岸ではなく、久里浜で生まれて初めて、ヨットの上でバーベキューをするはずであった。そういう、私からずれた行為は成就せず、夏の暑い一日、私らしく面白い映画を見た。

●市井義久の近況● その78 2008年8月 

 今年は転換期なのだと思う。
 1978年の3回目から1回も途切れることなく、連続30回も出席していた湯布院映画祭へ、今年は行けそうもない。宣伝している映画の初日と会期が重なってしまった。
 又、ライスタウンカンパニーという会社を設立して8年、1月から7月まで全く仕事が無かった。過去に5ヶ月間途切れたことはあったが、7ヶ月というのは最長である。
 1月から6月まで、毎月、お葬式あるいは偲ぶ会であった。ようやく7月は途切れたが、亡くなった方の半数、3人が50代と60代の方である。
 これは転換期と言っていいのか、今年は撮るべき監督が作品を撮っている。まだ8月というのにマスコミ試写で見た9月に公開される映画も加えると、今年は邦画のベストテンがもう出来上がってしまった。


市井義久(映画宣伝プロデューサー)

1950年新潟県に生まれる。 1973年成蹊大学卒業、同年株式会社西友入社。 8年間店舗にて販売員として勤務。1981年株式会社シネセゾン出向。 『火まつり』製作宣伝。
キネカ大森番組担当「人魚伝説よ もう一度」「カムバックスーン泰」 などの企画実現。買付担当として『狂気の愛』『溝の中の月』など買付け。 宣伝担当として『バタアシ金魚』『ドグラ・マグラ』。
1989年西友映画事業部へ『橋のない川』製作事務。 『乳房』『クレープ』製作宣伝。「さっぽろ映像セミナー」企画運営。 真辺克彦と出会う。1995年西友退社。1996年「映画芸術」副編集長。 1997年株式会社メディアボックス宣伝担当『愛する』『ガラスの脳』他。

2000年有限会社ライスタウンカンパニー設立。同社代表。

●2001年 宣伝 パブリシティ作品

3月24日『火垂』
(配給:サンセントシネマワークス 興行:テアトル新宿)
6月16日『天国からきた男たち』
(配給:日活 興行:渋谷シネパレス 他)
7月7日『姉のいた夏、いない夏』
(配給:ギャガコミュニケーションズ 興行:有楽町スバル座 他)
8月4日『風と共に去りぬ』
(配給:ヘラルド映画  興行:シネ・リーブル池袋)
11月3日『赤い橋の下のぬるい水』
(配給:日活 興行:渋谷東急3 他)
12月1日『クライム アンド パニッシュメント』
(配給:アミューズピクチャーズ 興行:シネ・リーブル池袋)


●2002年

1月26日『プリティ・プリンセス』
(配給:ブエナビスタ 興行:日比谷みゆき座 他)
5月25日『冷戦』
6月15日『重装警察』
(配給:グルーヴコーポレーション 興行:キネカ大森)
6月22日『es』 
(配給:ギャガコミュニケーションズ 興行:シネセゾン渋谷)
7月6日『シックス・エンジェルズ』
8月10日『ゼビウス』
8月17日『ガイスターズ』
(配給:グルーヴコーポレーション 興行:テアトル池袋)
11月2日『国姓爺合戦』
(配給:日活 興行:シネ・リーブル池袋 他)

ヨコハマ映画祭審査員。日本映画プロフェッショナル大賞審査員。

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