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シネマ ファシスト 第81回 2008年11月号 『トウキョウソナタ』 風を表わす、麦ならぬカーテンの揺れから始まり、再びカーテンの揺れで終わる物語である。私はそこに風が吹く時、ただならぬ不吉な予感に襲われる。事実映画館で私の隣に座った男性は、終始挙動不審であった。「クソしたい」「加齢臭がする」というようなことをブツブツ言っていた。あるいは3人の自死と4人の再生についての物語である。もとより自死と再生は近い、ほんのちょっとしたきっかけを見逃すかどうかである。駒場東大前に住む4人のいびつな家族の話である。父はリストラを隠し、母は母と妻を演じることに疲れ、長男はアメリカの軍隊に入隊することを隠し、次男は天才的なピアノの才能に恵まれながら、ピアノを習っていることを隠している。父はありもしない威厳を振りかざし、食事中はテレビを消し、食事は父が食べようとしない限りは家族は箸もつけられない。それでいて父は、家族を守ると公言するが、自分も含めて、家族がどういう状況なのかもわからず、守るも何もないものである。いびつな4人がいびつな家族を形成し、いびつな3人がもう1ついびつな家族をつくり、いびつな1人がいびつな人生を送っている。いやそれだけではない。父が試験を受けた会社では、面接でいきなりカラオケを歌えと言い、小学生が黙秘したからと言って、ゲットーのような留置場に入れられたりといびつな場面が続く。又、画面の色は最初から輝きを失い、住居は駒場東大前でありながら、家へと続く二股の道は東雪谷と家の周りは迷路のようであり、時々映る麻布十番のキノコのような高層マンションや六本木ヒルズの孤立感も異次元の物語のような違和感をもたらす。 ゆがんだ家族が、全員逃亡とも言える、父の就職、母の拉致、長男の入隊、次男の中学入試、そして3人の自死を経て、全てをやり直したいと言っていた大人たちが、その不可能性を認知し、ここでしか生きられないという決意の下、ようやくいびつな形が整いだす。ラスト、ドビュッシーの「月の光」の表現力に満ちた音色が、ようやく家族それぞれが、人間が本来持っている日常を乗り切る生活力、表現力を再び獲得したことを表わしている。 それにしても、1953年の漢字の『東京物語』からカタカナの『トウキョウソナタ』へ、高度成長期から没落期へ、両方の映画に時々見え隠れする悲しみは、55年間変わることはない。 黒澤清、『神田川淫乱戦争』と『回路』以来、久々に共感した。しかし3人家族の夫婦無理心中、残された中学生の娘の瞳が今も心に引っかかる。彼女は次男がやがて入学する中学にでもいるのだろうか。やはり映画には共感しても、ゆがんでいるという印象は拭い切れない。 | ||
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●市井義久の近況● その81 2008年11月 退屈しなくなったのはいつからだろうか。もう私のコップがついに一杯になってしまったのだろうか。10月25日は『ハロウィン』という映画の初日、打ち込みから2回目の上映まで2時間近くあったので、1人で近くの喫茶店に入った。東急プラザの2Fにある2 PIECE CAFE、ここは私が学生時代から、かれこれ40年近く営業している店である。店内は改装され店名も変わったが、当然店の場所はそのままで、大きな窓からは渋谷駅前の大きな歩道橋と246の上を走る高速道路が見える。昔、伯母が瀬田に住んでいたので、待ち合わせはよくここを使った。又、分かりやすい場所なので、仕事の打ち合わせにもよくここを使った。ただし昔はこの場所とは駅を挟んだ反対側に東急文化会館というのがあり、よく、どっちがどっちだったか迷ったものである。 大安の土曜日の午後、曇り空のせいか、昔に比べ通る人が少ないような気がするが、さすが東京、人が多い。私も、平均寿命79才の時代と言うが、よくここまで病気もせず、事故にも遭わず、自殺もせず、生きてこれたものだと思う。何もしなくとも、体が、金曜日になるとヘトヘトだし、酒ももうビール2本くらいしか飲めない。まして慢性的な腰痛で、時には朝起きるのさえ辛い。 それなのによく生きてきたものだと思う。今もこの店は満席で、この大きな窓から見える風景も、東京なのに40年前とそれ程変わっていないように思う。しかし私ときた日にはいやはや…。 今日初日を迎えたシアターN渋谷は、昔はユーロスペースと言い、この映画館も充分昔から存在する。ユーロの頃は市川崑の『新撰組』と田中千世子の『能楽師』を宣伝した。そして今日は『ハロウィン』、充分に多様である。 池袋は、西友に勤めていたので仕事の街、新宿は若い頃だけだが、ゴールデン街や二丁目へ飲みに行く街であり、新宿文化に通っていたので映画を見る街であった。渋谷は西武のB館にぽると・ぱろうるがあったので、本を買いに行く街、だから文化という感じがする。さあもう1時間も経ってしまった。しかし、退屈することはない。高校、大学、20代と続いた、坂口安吾ではないが、あれ程退屈な時間は、もう返ってこないのだろうか。コップがいっぱいで振り返ることにも事欠かなければ、難問山積で未来も不安だらけということであろうか。 | ||
市井義久(映画宣伝プロデューサー) 1950年新潟県に生まれる。 1973年成蹊大学卒業、同年株式会社西友入社。 8年間店舗にて販売員として勤務。1981年株式会社シネセゾン出向。 『火まつり』製作宣伝。 キネカ大森番組担当「人魚伝説よ もう一度」「カムバックスーン泰」 などの企画実現。買付担当として『狂気の愛』『溝の中の月』など買付け。 宣伝担当として『バタアシ金魚』『ドグラ・マグラ』。 1989年西友映画事業部へ『橋のない川』製作事務。 『乳房』『クレープ』製作宣伝。「さっぽろ映像セミナー」企画運営。 真辺克彦と出会う。1995年西友退社。1996年「映画芸術」副編集長。 1997年株式会社メディアボックス宣伝担当『愛する』『ガラスの脳』他。 2000年有限会社ライスタウンカンパニー設立。同社代表。 ●2001年 宣伝 パブリシティ作品 3月24日『火垂』 (配給:サンセントシネマワークス 興行:テアトル新宿) 6月16日『天国からきた男たち』 (配給:日活 興行:渋谷シネパレス 他) 7月7日『姉のいた夏、いない夏』 (配給:ギャガコミュニケーションズ 興行:有楽町スバル座 他) 8月4日『風と共に去りぬ』 (配給:ヘラルド映画 興行:シネ・リーブル池袋) 11月3日『赤い橋の下のぬるい水』 (配給:日活 興行:渋谷東急3 他) 12月1日『クライム アンド パニッシュメント』 (配給:アミューズピクチャーズ 興行:シネ・リーブル池袋) ●2002年 1月26日『プリティ・プリンセス』 (配給:ブエナビスタ 興行:日比谷みゆき座 他) 5月25日『冷戦』 6月15日『重装警察』 (配給:グルーヴコーポレーション 興行:キネカ大森) 6月22日『es』 (配給:ギャガコミュニケーションズ 興行:シネセゾン渋谷) 7月6日『シックス・エンジェルズ』 8月10日『ゼビウス』 8月17日『ガイスターズ』 (配給:グルーヴコーポレーション 興行:テアトル池袋) 11月2日『国姓爺合戦』 (配給:日活 興行:シネ・リーブル池袋 他) ヨコハマ映画祭審査員。日本映画プロフェッショナル大賞審査員。 |
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