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シネマ ファシスト 第93回 2009年11月号 『沈まぬ太陽』 菱形の映画。 10月24日に公開されたこの映画を、2週間後の土曜日に観に行った。開映の1時間前には映画館に着いたというのに、もう席が最前列と2列目しか残っていなかった。したがって2列目の右端、スクリーンの右側に映る人物が大きく見えるという、ゆがんだ席に座ることになった。 この映画は身分を保証された人たちが、それぞれ会社のため、お国のため、戦争で亡くなった人々のため、飛行機事故で犠牲となった人々のため、あるいは家族のために、そして何よりも矜持を持って、生きるという、しごくまっとうな人々を描いた物語である。しかしそれでも結果、左遷はあり、事故は起きる。まして彼らとは違う不安定な身分の人々のように、やがては私利私欲に走る者も現われ、登場人物たちのそれぞれの生き方は大きく行き違ってゆく。 1999年に刊行されたこの原作を、私は上司と喧嘩をして、さすがカラチに転勤ということはなかったが、地方へ飛ばされて、それまでとはまったく異なる仕事を始めた頃に読み、今でも強く印象に残っている。私はその後1年でその会社を辞めてしまったが、そうではなかった恩地元との違いは、彼はNALであり、家族がいたからだと思う。 会社のためにと言いながらお互い行き違ってゆく人々、恩地元と行天四郎の2人を描くことでこの映画の30年は進行する。同じ大学の法学部を卒業し、同じ会社の同僚ならぬ同志としてスタートした2人が、それから30年、ラストシーンでの立ち位置は両極端ではあるが、3時間22分を観て、その結果、それぞれの意志、矜持であることを納得させられる。それは真正面からスクリーンを観た時は、同じ位置に立つ人が、同じ矜持を持つ2人が、右端から見ると右側の人物がゆがんで見えるようなものかもしれない。 30年間互いの人生に密接に関わり合った2人が、やがて1人はナイロビにあっても、 前回とはまったく異なる思いでアフリカの大地に立ち、もう1人は獄中へと向う。 それでもラスト太陽が沈まないのは、人間は30年くらいで沈むものではなく、 さらにラストの太陽の赤さは、人間の、2人のそれまでの矜持を象徴しているかのようである。 | ||
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●市井義久の近況● その93 2009年11月 10月25日アルタミラピクチャーズの佐々木芳野さんを送る会に参列した。 故人とはそれ程親しかった訳ではない。 故人がプロデューサーだった『船を降りたら彼女の島』という映画を1本宣伝しただけである。 なのに、様々な人が佐々木さんに向って贈る言葉を発するたびに、聞いている私の涙が止まらなくなってしまった。 そしてそれを隠すためにずっと上を向いて、ただひたすらビールを飲んでいた。 6本ぐらいは飲んだであろう。 会場は東宝撮影所、西友にいた頃、多くが東宝配給だったので、撮影所も東宝で、その頃はよく通った。 それから何十年、様変わりである。送る会の会場は撮影所の食堂、真新しい建物である。 上ばかり見ていたので、窓一面の桜並木が目にはいった。 黄土色の桜の葉が今にも木枯らしに吹き飛ばされそうである。 テーブルの上には東宝から差し入れのビールが並び、よく見るとあの頃いっしょに仕事をしていた人たちの今の肩書が専務取締役となっていた。 事実、あれからもう何十年である。 この桜並木も満開の印象しかないが、やがては葉を落とし再び花を咲かすように、彼らは今や専務である。 故人の51才というはやすぎる死同様、時の移ろいのはやさを痛感する。 マイクの前では、御主人からの病状報告や、高校生の娘さんのピアノの演奏が続いている。立錐の余地無しという状態なので、4時間身じろぎもせずに、涙目で暮れなずむ晩秋の空を見ながら、ただひたすらビールを飲んでいた。故人の享年が51歳であったことを忘れたいのだと思う。いつもは2本も飲めば酔っ払うのに、なぜか酔えない。これだけの時間、これだけ多くの人が佐々木芳野さんにかこつけて、映画を語るのを聞いていると、もう何十年も続けてきて消えかかっている映画への情熱・・・いや意識を、もう一度持続させ、もう少しあと少しだけは、この仕事を続けてみようと思う。あと1年は。 | ||
市井義久(映画宣伝プロデューサー) 1950年新潟県に生まれる。 1973年成蹊大学卒業、同年株式会社西友入社。 8年間店舗にて販売員として勤務。1981年株式会社シネセゾン出向。 『火まつり』製作宣伝。 キネカ大森番組担当「人魚伝説よ もう一度」「カムバックスーン泰」 などの企画実現。買付担当として『狂気の愛』『溝の中の月』など買付け。 宣伝担当として『バタアシ金魚』『ドグラ・マグラ』。 1989年西友映画事業部へ『橋のない川』製作事務。 『乳房』『クレープ』製作宣伝。「さっぽろ映像セミナー」企画運営。 真辺克彦と出会う。1995年西友退社。1996年「映画芸術」副編集長。 1997年株式会社メディアボックス宣伝担当『愛する』『ガラスの脳』他。 2000年有限会社ライスタウンカンパニー設立。同社代表。 ●2001年 宣伝 パブリシティ作品 3月24日『火垂』 (配給:サンセントシネマワークス 興行:テアトル新宿) 6月16日『天国からきた男たち』 (配給:日活 興行:渋谷シネパレス 他) 7月7日『姉のいた夏、いない夏』 (配給:ギャガコミュニケーションズ 興行:有楽町スバル座 他) 8月4日『風と共に去りぬ』 (配給:ヘラルド映画 興行:シネ・リーブル池袋) 11月3日『赤い橋の下のぬるい水』 (配給:日活 興行:渋谷東急3 他) 12月1日『クライム アンド パニッシュメント』 (配給:アミューズピクチャーズ 興行:シネ・リーブル池袋) ●2002年 1月26日『プリティ・プリンセス』 (配給:ブエナビスタ 興行:日比谷みゆき座 他) 5月25日『冷戦』 6月15日『重装警察』 (配給:グルーヴコーポレーション 興行:キネカ大森) 6月22日『es』 (配給:ギャガコミュニケーションズ 興行:シネセゾン渋谷) 7月6日『シックス・エンジェルズ』 8月10日『ゼビウス』 8月17日『ガイスターズ』 (配給:グルーヴコーポレーション 興行:テアトル池袋) 11月2日『国姓爺合戦』 (配給:日活 興行:シネ・リーブル池袋 他) ヨコハマ映画祭審査員。日本映画プロフェッショナル大賞審査員。 |
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