第94

12月号

シネマ ファシスト 第94回 2009年12月号

『母なる証明』


 お見事としか言いようがない。この映画には不可思議といわれる人間の一断面が描かれている。又映像作家とはどういう映画を撮る人かという解答も示されている。

 母の草原の踊りで始まり、同じく母がその草原に佇んで終る映画かと思っていた。しかし、始まりと同様、薬草を切る母の元にドアの向うから刑事がやって来る。今度は母の逮捕かと思いきや、息子が犯人なのに、真犯人が捕まったと言う。その真犯人に面会に行き、母はあなたに母は居るのかと聞く。息子と同じく痴呆のようなその犯人は答えない。母も同様に口を噤む。それだけではない。母は事件を目撃した廃品回収業者を殺し、家に放火し、あろうことか、今度は息子がその焼け跡へ行き、母の携帯品を拾い母に手渡す。息子が母をかばったのではない。この時、この映画の中程で、息子は母に私が5歳の時に殺そうとしただろうと云う、そのシーンが私の脳裏にはよみがえる。

 母が溺愛する痴呆の息子の無実を証明する話ならばよかった。それなら男の私にもついてゆける。しかしこの映画は、そんな単純な話ではなく、二重、三重にも仕掛けられた話なので、お腹を痛めていない男にはお手上げである。だから私と同じ日にこの映画を観た人は、母親ばかりで、男は10人もいない。

 極めて映像的な映画である。血と鼻血と口紅という印象的な赤が映る。野原に1本、この母のような木が佇立している。母が口紅の付いたゴルフクラブを持って家を出た後の、男と母と家と道と洗濯物が造る見事な構図。母と事件を目撃した廃品回収業者が雨の中で出会うシーン。廃屋の中から窓越しに、壁越しに事件を写し取るシーン。印象的に残るポイントである。そうした画づくりとともにここまで納得ずくで物語を転がせる監督は、今や日本では少なくなった作家と呼ぶにふさわしい監督である。


●市井義久の近況● その94 2009年12月

 母がグループホームせきかわに入所し、そして介護老人保健施設三面の里へ転院してから7年になる。それ以来明治24年に建てられた生家は空き家となり、母の見舞いもかねて、年4回は帰省している。今年の秋の帰郷は10月31日と11月1日、近くに新しい道路ができたので、そこから実家の全景を見た。予想以上に私の生家は年老いていた。117才である。その場所で私を撮影した写真をあとで見せてもらった。私も予想以上に老いていた。ここまでずっと生まれた地で生きてきた訳ではないので、ずいぶんと色々な体験をした。一生忘れられない、歌と映画と本と人に出会うことができた。それは生家でそのまま生きてきた人々とて同様であろうが、私の生家山本では映画は無理である。その雑多な様々なものとの出会いが、私を生家のように老いさせたのであろうか。もう満足である。と同時にあと10年、20年と生きてゆけるのなら、さらなる満足が待っているかと思うと、期待もふくらむ。

 およそなぜという出会いもあった。破傷風などその最たるものであろうし、ある映画監督と定期的に話ができるのは嬉しい限りである。だから私は金太郎飴、どこで切られても、おいしい人生であった。外見上ここまで老いた私を目にすると、どこで切られてもごくろうさまと声をかけたくなる。今年もあと1ヶ月。



市井義久(映画宣伝プロデューサー)

1950年新潟県に生まれる。 1973年成蹊大学卒業、同年株式会社西友入社。 8年間店舗にて販売員として勤務。1981年株式会社シネセゾン出向。 『火まつり』製作宣伝。
キネカ大森番組担当「人魚伝説よ もう一度」「カムバックスーン泰」 などの企画実現。買付担当として『狂気の愛』『溝の中の月』など買付け。 宣伝担当として『バタアシ金魚』『ドグラ・マグラ』。
1989年西友映画事業部へ『橋のない川』製作事務。 『乳房』『クレープ』製作宣伝。「さっぽろ映像セミナー」企画運営。 真辺克彦と出会う。1995年西友退社。1996年「映画芸術」副編集長。 1997年株式会社メディアボックス宣伝担当『愛する』『ガラスの脳』他。

2000年有限会社ライスタウンカンパニー設立。同社代表。

●2001年 宣伝 パブリシティ作品

3月24日『火垂』
(配給:サンセントシネマワークス 興行:テアトル新宿)
6月16日『天国からきた男たち』
(配給:日活 興行:渋谷シネパレス 他)
7月7日『姉のいた夏、いない夏』
(配給:ギャガコミュニケーションズ 興行:有楽町スバル座 他)
8月4日『風と共に去りぬ』
(配給:ヘラルド映画  興行:シネ・リーブル池袋)
11月3日『赤い橋の下のぬるい水』
(配給:日活 興行:渋谷東急3 他)
12月1日『クライム アンド パニッシュメント』
(配給:アミューズピクチャーズ 興行:シネ・リーブル池袋)


●2002年

1月26日『プリティ・プリンセス』
(配給:ブエナビスタ 興行:日比谷みゆき座 他)
5月25日『冷戦』
6月15日『重装警察』
(配給:グルーヴコーポレーション 興行:キネカ大森)
6月22日『es』 
(配給:ギャガコミュニケーションズ 興行:シネセゾン渋谷)
7月6日『シックス・エンジェルズ』
8月10日『ゼビウス』
8月17日『ガイスターズ』
(配給:グルーヴコーポレーション 興行:テアトル池袋)
11月2日『国姓爺合戦』
(配給:日活 興行:シネ・リーブル池袋 他)

ヨコハマ映画祭審査員。日本映画プロフェッショナル大賞審査員。

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