第95

1月号

シネマ ファシスト 第95回 2010年1月号

『渇き』


 昨年の11月『母なる証明』を観てお腹がいっぱいになったので、その後4ヶ月間映画を観ることはなかった。(申し訳ありません。3月に書いております。)そして久しぶりに観た『渇き』で、映画史上最も美しい心中場面に出会うことができた。人間としては2人とも渇いていたのだと思う。そこで男は吸血鬼に変身し、好きになった女をも吸血鬼に変身させた。しかしこれでも2人は幸福になれた訳ではなく、愛は元来人を傷つけること無しには成立しがたいものだが、元々は人間であった2人が、生きてゆくために魚や獣ではない人間の血を吸うことで贖罪が残る。まして男はキリスト教者であり、女も身に近い人の血を吸うことで後悔が残る。そこでさらにこの2人は、2頭の黄金の鯨に導かれて、人間でもない吸血鬼でもない塵のような存在を目指す。立ち会うのは、2人が意志を交すきっかけとなった男から女へと渡った1足の靴と、門出を送る義理の母。

 それまでの性を中心とした2人の交わりが美しいのと同様に、この心中場面も美しい。2人は人間ではない吸血鬼でもない存在として、これからは愛し合うであろう。そのような私の想像し得ない存在へと向う門出の心中は、たとえようもなく美しい。


●市井義久の近況● その95 2010年1月

 1月1日の新潟日報で新潟市にある北光社という書店が1月いっぱいで閉店すると報道されていた。創業189年の老舗である。私が小学生から中学生にかけて読んだ本や雑誌の多くはそこで買ってもらった。お盆とお正月に母の実家に里帰りするたびに母にそこで買ってもらっていた。1875年創業の菓子業、香月
堂も昨年店を畳んだと報道されていた。そこの花嫁御寮はつい最近まで新潟へ帰るたびに買ってきては食べていた。同じ新聞に北光社のある新潟一の繁華街、古町十字路の1969年の写真が掲載されてあった。街行く人は皆笑顔である。

 個人は皆80年くらいでその生涯を閉じる。しかし人間としては、その次の世代その次の世代と永遠に続くように、それぞれの人がそれぞれの時代に慣れ親しんだものも、型は多少変っても永遠に続いて欲しいと思う。今年の6月25日で閉店となる新潟市の百貨店大和も、最近利用することは無かったが、まさかなくなるとは思ってもみなかった。自然淘汰、自由競争といえばそうだが、何が残り何が残らないか、それは日々私にとっても突きつけられる課題である。

 又、2月28日に閉店となる中合会津店、先に閉店した福島店は、地域一番店として美人しか採用しなかった。又、3月14日に閉店する伊勢丹吉祥寺店、ここはかつて妹が働いていた。又、12月25日に閉店する西武有楽町店、私はかつてこの企業グループで働いていた。百貨店のピークは91年、私もその頃は小売業で働いていた。小売業は消費者のニーズに応えるのではなく、消費を創り出すものだ、その店へ行ってこれを買いたいと思わせることだと教えられた。だから百貨店の中にはかつて売場の他に、遊園地があり、食堂があり芝居小屋があり特売場があり美術館があり映画館があった。まずは行きたいと思わせることが肝要であり、そこでは買わせる工夫も怠りなかった。しかし現在百貨店は売上がピーク時の30%減。よく行ったスーパーとかコンビニがなくなってもただ不便なだけだが、よく行った小売店(飲み屋や食堂も含めて)や百貨店がなくなるのは寂しい。それはそこには私にとって、単に買い物をする以上の独特の私だけの心地よい雰囲気が充満していたからだと思う。


市井義久(映画宣伝プロデューサー)

1950年新潟県に生まれる。 1973年成蹊大学卒業、同年株式会社西友入社。 8年間店舗にて販売員として勤務。1981年株式会社シネセゾン出向。 『火まつり』製作宣伝。
キネカ大森番組担当「人魚伝説よ もう一度」「カムバックスーン泰」 などの企画実現。買付担当として『狂気の愛』『溝の中の月』など買付け。 宣伝担当として『バタアシ金魚』『ドグラ・マグラ』。
1989年西友映画事業部へ『橋のない川』製作事務。 『乳房』『クレープ』製作宣伝。「さっぽろ映像セミナー」企画運営。 真辺克彦と出会う。1995年西友退社。1996年「映画芸術」副編集長。 1997年株式会社メディアボックス宣伝担当『愛する』『ガラスの脳』他。

2000年有限会社ライスタウンカンパニー設立。同社代表。

●2001年 宣伝 パブリシティ作品

3月24日『火垂』
(配給:サンセントシネマワークス 興行:テアトル新宿)
6月16日『天国からきた男たち』
(配給:日活 興行:渋谷シネパレス 他)
7月7日『姉のいた夏、いない夏』
(配給:ギャガコミュニケーションズ 興行:有楽町スバル座 他)
8月4日『風と共に去りぬ』
(配給:ヘラルド映画  興行:シネ・リーブル池袋)
11月3日『赤い橋の下のぬるい水』
(配給:日活 興行:渋谷東急3 他)
12月1日『クライム アンド パニッシュメント』
(配給:アミューズピクチャーズ 興行:シネ・リーブル池袋)


●2002年

1月26日『プリティ・プリンセス』
(配給:ブエナビスタ 興行:日比谷みゆき座 他)
5月25日『冷戦』
6月15日『重装警察』
(配給:グルーヴコーポレーション 興行:キネカ大森)
6月22日『es』 
(配給:ギャガコミュニケーションズ 興行:シネセゾン渋谷)
7月6日『シックス・エンジェルズ』
8月10日『ゼビウス』
8月17日『ガイスターズ』
(配給:グルーヴコーポレーション 興行:テアトル池袋)
11月2日『国姓爺合戦』
(配給:日活 興行:シネ・リーブル池袋 他)

ヨコハマ映画祭審査員。日本映画プロフェッショナル大賞審査員。

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