第99

5月号

シネマ ファシスト 第99回 2010年5月号

『天使のはらわた、赤い教室』


 1979年の映画をビデオで観た。私が映画の仕事をするきっかけになった作品である。なぜ30年以上前の作品を今、観たかというと、その映画に売れない演歌歌手の役で出演していた男優を、最近住宅のテレビコマーシャルで見たからである。その人は何年か前、北大路欣也主演のドラマや市原悦子主演のドラマでも見たがそれ以来である。蟹江敬三、河西健司、その2人は今でもよく見る。しかし他の名前は監督を含めほとんど見ることはない。私がその映画を観た高円寺平和劇場も今はない。その頃は『人魚伝説』とか『仁義なき戦い』とか、もう少し古くは『遊侠一匹 沓掛時次郎』とかおもしろい映画がたくさんあった。しかしこの映画を1番よく覚えている。

 あらためて、この映画の中の人々の眼差しに釘付けになった。水原ゆう紀にしろ蟹江敬三にしろ水島美奈子にしろこの人にしろ途方に暮れている。それは齢60の私である。1979年から30年以上を経て、今、街でよく見かける眼差しである。何かを求め、生き、しかし決して手に入ることのない人生、だからこそ生を持続する者たち。当たり前に存在するはずであった未来を、一生忘れられない顔と再会する機会を、演歌歌手として脚光を浴びるはずであった未来を、好きな人と結婚する将来を、突然断ち切られた者たちの無念、締念。それぞれの人生の延長線上にあるはずであった未来はもはや存在せず、あきらめざるを得ない人生。教室、ある時の水原ゆう紀の顔、演歌、当たり前の団地暮らし。それらはこの4人の人生の延長線上にはもはや存在しない。だから生きている。スイッチを切り換えもしないで。

 そして30年、彼らの顔が今街を行く人々と重なって見える。何かを求めて得られぬ者たちの眼差し、だからこそ生きている者たちの顔、すなわち手に入らない幸福と呼ばれる生活を求めて生きる人々の顔、それらが30年前の映画の顔と重なって見える。かつて映画の中で出会った顔が、視線が今、街にあふれている。

 蟹江敬三は、名取裕子が添乗員役をやるTBSの番組や、彼女が検事役を演じるテレ朝の番組でよく見るが、もちろん昔の彼ではない。又河西健司は麻布十番のグルメシティの前で見たことがあるが、彼の方がまだ昔の彼のようである。


●市井義久の近況● その99 2010年5月

 私は12月からここ半年極めて体調が悪い。ちょっとひねったことによる膝の痛みから始まって、風邪で3日間も寝込むことを繰り返したり、顔や口唇の回りに吹き出物ができたり、何日も何日も二日酔いのように身体がだるかったり、夜眠れなかったり、しかしそれが嫌かというと実はそうではない。もうすぐ60である。それがこの年齢と私の今の生活なのである。だから平気で早い時は昼の2時からテレビを見てビールを飲んでいた。又、一日中寝ていたりもした。それが今の私の生活と思ってはばからない。たとえそれが半年間に及ぼうともである。体調の悪いのを悔やんでも始まらない。テレビあるいはビールで忘れること、先送りすること、それは老人の特権である。大昔、病気で3ヶ月間入院し、退院してみると世界がではなく会社の中がすっかり変わっていた。さてそろそろやり直そう。桜から花水木、つつじへ青葉から紫陽花へと季節も変わるだろう。私も転々としてその季節を生きる。「ひと休み、今日の健康明日の能率。守れ健康農作業」ではないが、ひと休みどころはなかった。体重も75kgが62kg、胴回りも92cmが82cm、長い休みであった。先送りしてきたこと、一時期横に置いたものを、机の真中に戻す時期である。

 5月2日母を見舞うために4ヶ月ぶりに帰省した。いつもならば4月10日頃に満開になる実家の前の桜が、今満開であった。しかし3日間も続いた夏のような晴天であっという間に散ってしまった。あたかも私を待っていたかのように。そして5月8日には東京で一瞬、パリの5月のような風が吹いた。

 私の通った小学校が3月いっぱいで閉校になってしまったので、この機会に何10年ぶりかでその小学校を見に行った。創立130年の歴史のある小学校であった。これで私の通った学校で現存するのは大学のみ。高校もあるにはあるが移転して建て替えられてしまった。久しぶりに訪れた小学校は随分と小さかった。校舎が木造からコンクリートになっただけで、グランド、庭園、桜や松、それぞれの広さとレイアウトには変更は無い。桜や松はあの頃に比べはるかに成長しているはずなのに、子供目線から大人目線へと変り、すべては随分と小さくなっていた。ゆっくりと校門からグランド、庭園へと歩いて行った。それは充分その当時の距離を当たり前のように保っていた。ならばなぜ小さく見えるのか。閉校にあたっての記念アルバムに、私と同じ昭和39年に卒業した旧姓伊藤典子さんの文章を読み思い当たる所があった。それはその時と今の心情の違いである。あの時は未来が広く、今は終末が近い。あの頃は世界も大きく広く、今は世界が縮んでしまった。また12才で闇を見た人もいれば、それを60でかいま見る人もいる。グランドの100mは、今も確実に100mの長さを保っていた。しかしそれが今見ると随分と短い。まるで残りの私の人生のようである。さあラストスパートの季節が今確実に私に訪れている。



市井義久(映画宣伝プロデューサー)

1950年新潟県に生まれる。 1973年成蹊大学卒業、同年株式会社西友入社。 8年間店舗にて販売員として勤務。1981年株式会社シネセゾン出向。 『火まつり』製作宣伝。
キネカ大森番組担当「人魚伝説よ もう一度」「カムバックスーン泰」 などの企画実現。買付担当として『狂気の愛』『溝の中の月』など買付け。 宣伝担当として『バタアシ金魚』『ドグラ・マグラ』。
1989年西友映画事業部へ『橋のない川』製作事務。 『乳房』『クレープ』製作宣伝。「さっぽろ映像セミナー」企画運営。 真辺克彦と出会う。1995年西友退社。1996年「映画芸術」副編集長。 1997年株式会社メディアボックス宣伝担当『愛する』『ガラスの脳』他。

2000年有限会社ライスタウンカンパニー設立。同社代表。

●2001年 宣伝 パブリシティ作品

3月24日『火垂』
(配給:サンセントシネマワークス 興行:テアトル新宿)
6月16日『天国からきた男たち』
(配給:日活 興行:渋谷シネパレス 他)
7月7日『姉のいた夏、いない夏』
(配給:ギャガコミュニケーションズ 興行:有楽町スバル座 他)
8月4日『風と共に去りぬ』
(配給:ヘラルド映画  興行:シネ・リーブル池袋)
11月3日『赤い橋の下のぬるい水』
(配給:日活 興行:渋谷東急3 他)
12月1日『クライム アンド パニッシュメント』
(配給:アミューズピクチャーズ 興行:シネ・リーブル池袋)


●2002年

1月26日『プリティ・プリンセス』
(配給:ブエナビスタ 興行:日比谷みゆき座 他)
5月25日『冷戦』
6月15日『重装警察』
(配給:グルーヴコーポレーション 興行:キネカ大森)
6月22日『es』 
(配給:ギャガコミュニケーションズ 興行:シネセゾン渋谷)
7月6日『シックス・エンジェルズ』
8月10日『ゼビウス』
8月17日『ガイスターズ』
(配給:グルーヴコーポレーション 興行:テアトル池袋)
11月2日『国姓爺合戦』
(配給:日活 興行:シネ・リーブル池袋 他)

ヨコハマ映画祭審査員。日本映画プロフェッショナル大賞審査員。

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