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シネマ ファシスト 第101回 2010年7月号 申し訳ありません今月も休載させていただきます。 | ||
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●市井義久の近況● その101 2010年7月 (申し訳ありません一部を8月に書いております。)
又、テレビの話で恐縮です。NHK朝8時の朝ドラ(以前は8時15分)、私がこれを見るのは5回目である。古くは樫山文枝の「おはなはん」、高視聴率だった「おしん」、それと相撲部屋の話、湯布院が舞台の「風のハルカ」、そして今回の「ゲゲゲの女房」である。視聴率が「龍馬伝」より上というのも驚きだが(8/4「ゲゲゲ〜」21.3%ちなみに4週連続トップ、8/8「龍馬伝」16.7%)、私はこのドラマの貧乏ぶりに共感する。私が見出したのは舞台が東京へ移り、時代が紙芝居の時代から貸本漫画へ、そして雑誌漫画からテレビ漫画へと変ってゆく1962年以降の話である。水木しげると彼の奥さん、米びつの底が見えているのに、昔の知り合いや兄に金を貸したり、電気を止められて、ローソクで星が美しいと会話したり、特攻隊と言って、片道の電車賃だけ持って漫画を売り込みに行き、断られて飯田橋から調布まで歩き、おまけに2日間何も食べてないので、水木しげるの家に倒れ込む下宿人、極めて共感できる人々のお話である。
皆が貧乏で、皆が助け合い、お互いがお互いを信じ、皆が未来を信じていた時代に懐かしさを覚えるのではなく、共感する。しかしその後、紙芝居から出発した水木しげるも貸本漫画時代の貧乏生活を経て、少年マガジンの編集長に水木漫画のファンが就任し雑誌漫画へ、そして講談社漫画賞を受賞してテレビへと生活が豊かになるにつれドラマは逆にやせ細ってしまった。生きることや食べることに汲々としていた時代から、さしあたっては食べられるようになると描かれている夫婦2人の感情はやせ細ってゆく。と同時に2人の感心は他の物に移る。2人だからこそ生きてこれたのであり、2人で漫画を描き2人で生活を工面して生きてきたのである。1967年ここまでは2人はドラマの主役であった。しかしその後、妻の妹や2人の娘が画面に登場するにつれ、妹の恋愛や娘の学校でのいじめで、画面から活力が失われてしまった。そして8/14の富士山麓に別荘を買う話や、8/16の南方へ移住する話になったところで見るのをやめてしまった。
貧しくあること、飢餓感は、それが背景であるにしろそれ自体が描かれているにしろ、それは豊かさである。今日食べるものがなければ、想像するしかない。今日食べるものがなければ、食べる算段をしなければ死んでしまう。1960年代から70年代の日本映画、1980年代から90年代の韓国映画、又今年見た『息もできない』のベースは、多様な飢餓感と思う。1960年代の石原裕次郎ですら、何かを求めて東京から九州までオープンカーで走って行った。生きなければ、描かなければ、書かなければ、撮らなければ、この苦しみからのがれなければ、それが表現者の基本である。そしてこの苦しみを忘れなければ・・・。それを水木しげるが南方戦線で会得し、奥さんが、少年マガジンの編集者他が共鳴したからこのドラマは成立した。しかし「ゲゲゲの女房」の1990年以降切実に生きたいと思っている人はあまり出て来ない。
私は週刊誌に少年サンデー、少年マガジン、少年キング、月刊誌は少年画報、少年倶楽部、冒険王と読んでいたが、水木漫画のファンではない。しかし彼は南方戦線で片腕を失っても生きたいと思い、その手段として画の才能を活用し、それに共鳴したのが、奥さんと少年マガジンの編集者とガロの編集長ともう1人の編集者である。しかし1967年以降に生活が豊かになったことで、他の登場人物、親や子や兄弟へと話が移り、彼らとは生きた時代も場所も異なるので、もとより共鳴する話はなく、奥さんが時々よくわからないと言うように、共感で関係している人々ではないから、ドラマが希薄になってしまった。 映画にしろドラマにしろ、過渡期の産物なのだと思う。現在の「ゲゲゲの女房」のように1つ屋根の下で3世代がそれなりに安定して生活している状況は、その生活の豊かさにひきかえ、描かれる人々の感情がドラマを成立させるにはやせ細ってしまっていると思う。ウナギが毎日食卓に出る家庭や、トンカツが時々出る家庭はやはりドラマ向きではない。ちなみに私はウナギは2年前に食べたっきり、トンカツは3年前、カツカレーは時々は食べるが。 | ||
市井義久(映画宣伝プロデューサー) 1950年新潟県に生まれる。 1973年成蹊大学卒業、同年株式会社西友入社。 8年間店舗にて販売員として勤務。1981年株式会社シネセゾン出向。 『火まつり』製作宣伝。 キネカ大森番組担当「人魚伝説よ もう一度」「カムバックスーン泰」 などの企画実現。買付担当として『狂気の愛』『溝の中の月』など買付け。 宣伝担当として『バタアシ金魚』『ドグラ・マグラ』。 1989年西友映画事業部へ『橋のない川』製作事務。 『乳房』『クレープ』製作宣伝。「さっぽろ映像セミナー」企画運営。 真辺克彦と出会う。1995年西友退社。1996年「映画芸術」副編集長。 1997年株式会社メディアボックス宣伝担当『愛する』『ガラスの脳』他。 2000年有限会社ライスタウンカンパニー設立。同社代表。 ●2001年 宣伝 パブリシティ作品 3月24日『火垂』 (配給:サンセントシネマワークス 興行:テアトル新宿) 6月16日『天国からきた男たち』 (配給:日活 興行:渋谷シネパレス 他) 7月7日『姉のいた夏、いない夏』 (配給:ギャガコミュニケーションズ 興行:有楽町スバル座 他) 8月4日『風と共に去りぬ』 (配給:ヘラルド映画 興行:シネ・リーブル池袋) 11月3日『赤い橋の下のぬるい水』 (配給:日活 興行:渋谷東急3 他) 12月1日『クライム アンド パニッシュメント』 (配給:アミューズピクチャーズ 興行:シネ・リーブル池袋) ●2002年 1月26日『プリティ・プリンセス』 (配給:ブエナビスタ 興行:日比谷みゆき座 他) 5月25日『冷戦』 6月15日『重装警察』 (配給:グルーヴコーポレーション 興行:キネカ大森) 6月22日『es』 (配給:ギャガコミュニケーションズ 興行:シネセゾン渋谷) 7月6日『シックス・エンジェルズ』 8月10日『ゼビウス』 8月17日『ガイスターズ』 (配給:グルーヴコーポレーション 興行:テアトル池袋) 11月2日『国姓爺合戦』 (配給:日活 興行:シネ・リーブル池袋 他) ヨコハマ映画祭審査員。日本映画プロフェッショナル大賞審査員。 |
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