第102

8月号

シネマ ファシスト 第102回 2010年8月号

 今月も休載させていただきます。


●市井義久の近況● その102 2010年8月

 今、死のうとしている君へ。

 もし、少しでも生きたいという希望があるなら、少しでも死にたくないと思っているなら死ぬのはやめなさい。この世のことは生きてから死ぬまで、ほとんど自分の力ではどうにもなりません。自分ではどうにもならないことで死ぬことはありません。そんなことをしていたら体がいくつあっても足りません。借金、病気、ストレスは自分のせいではありません。他者が存在する社会があって初めて存在します。原因は自分のせいですか。そんなことはないでしょう。すべて対象があっての借金、病気、ストレスです。それをすべて自分のせいにして、自分1人が死ぬことはありません。なんとかなると思っていれば、なんとかなることもあります。時が解決してくれることもあります。死は自身ではなく天が決めることです。その時まで、今は少しでも生きたいと思っているなら、すべてをやりすごし、忘れて、目をつぶってごまかしていいかげんに生きてゆくことです。どうせ死にます。その時まで、かつて楽しかったことでも思い出しながらその時を迎えましょう。それが今では決してないと思います。

 やりすごす方法はいくらでもあります。恋愛という訳にもゆきませんから、テレビ、本、映画、ビール、会話、それらでごまかし、かつて楽しかったことを思い出しながら、どうせすべての人が死ぬのですから、天が決めるその時まで、ダラダラと生きていることです。死は残念ながら、生まれるのがそうであるように自分自身の専権事項ではありません。それを決めるのは天です。戦争、殺人今はそういう時代ではありませんから、自分で決める死はやめましょう。痛いし、回りにはより迷惑をかけるし、普通なら49日で忘れられるのが後々まで忘れられません。もしそれでも死にたいと思うなら、日本では1日100人も自殺しているという、そんなありふれた光景に、あなたも出会いたいと思いますか。

 もう1度言います。借金、病気、ストレスこれらは自分のせいではありません。テレビは面白いし、映画も本も、またビールはうまいし、街を歩けば猛暑の夏美しい女もたくさんいます。それでも死にたい人は予行演習をしてください。それであきらめると思います。

 先日取引先に打ち合わせに行き、テーブルの上に新聞が何部か置いてあり、5月13日の朝日新聞の夕刊をめくっていたら「自殺12年連続3万人台」という見出しを見つけました。打ち合わせまで10数分あったので思いついた文章です。又、6月と8月に友人が亡くなりました。51歳と70歳死にたくて死んだ訳ではないと思い書いた文章です。



市井義久(映画宣伝プロデューサー)

1950年新潟県に生まれる。 1973年成蹊大学卒業、同年株式会社西友入社。 8年間店舗にて販売員として勤務。1981年株式会社シネセゾン出向。 『火まつり』製作宣伝。
キネカ大森番組担当「人魚伝説よ もう一度」「カムバックスーン泰」 などの企画実現。買付担当として『狂気の愛』『溝の中の月』など買付け。 宣伝担当として『バタアシ金魚』『ドグラ・マグラ』。
1989年西友映画事業部へ『橋のない川』製作事務。 『乳房』『クレープ』製作宣伝。「さっぽろ映像セミナー」企画運営。 真辺克彦と出会う。1995年西友退社。1996年「映画芸術」副編集長。 1997年株式会社メディアボックス宣伝担当『愛する』『ガラスの脳』他。

2000年有限会社ライスタウンカンパニー設立。同社代表。

●2001年 宣伝 パブリシティ作品

3月24日『火垂』
(配給:サンセントシネマワークス 興行:テアトル新宿)
6月16日『天国からきた男たち』
(配給:日活 興行:渋谷シネパレス 他)
7月7日『姉のいた夏、いない夏』
(配給:ギャガコミュニケーションズ 興行:有楽町スバル座 他)
8月4日『風と共に去りぬ』
(配給:ヘラルド映画  興行:シネ・リーブル池袋)
11月3日『赤い橋の下のぬるい水』
(配給:日活 興行:渋谷東急3 他)
12月1日『クライム アンド パニッシュメント』
(配給:アミューズピクチャーズ 興行:シネ・リーブル池袋)


●2002年

1月26日『プリティ・プリンセス』
(配給:ブエナビスタ 興行:日比谷みゆき座 他)
5月25日『冷戦』
6月15日『重装警察』
(配給:グルーヴコーポレーション 興行:キネカ大森)
6月22日『es』 
(配給:ギャガコミュニケーションズ 興行:シネセゾン渋谷)
7月6日『シックス・エンジェルズ』
8月10日『ゼビウス』
8月17日『ガイスターズ』
(配給:グルーヴコーポレーション 興行:テアトル池袋)
11月2日『国姓爺合戦』
(配給:日活 興行:シネ・リーブル池袋 他)

ヨコハマ映画祭審査員。日本映画プロフェッショナル大賞審査員。

市井さんの邦画作品宣伝リストへ
バックナンバー
2002年1月 2月 3月
4月 5月 6月
7月 8月 9月
10月 11月 12月

2003年1月 2月 3月
4月 5月 6月
7月 8月 9月
10月 2004年1月 2月
3月 4月 5月
シネマファシスト
第29/30回
シネマファシスト
第31回
6月 7/8月 9月
シネマファシスト第32回
10月号
シネマファシスト第33回
11月号
シネマファシスト第34回
12月号
シネマファシスト第37回
3月号
2005年1月 2月 3月
シネマファシスト第38回
4月号
シネマファシスト第39回
5月号
シネマファシスト第40回
6月号
シネマファシスト第41回
7月号
シネマファシスト第42回
8月号
シネマファシスト第43回
9月号
シネマファシスト第44回
10月号
シネマファシスト第45回
11月号
シネマファシスト第46回
12月号
シネマファシスト第47&48回 1&2月号 シネマファシスト第49回
3月号
シネマファシスト第50回
4月号
シネマファシスト第51回
5月号
シネマファシスト第52回
6月号
シネマファシスト第53回
7月号
シネマファシスト第54回
8月号
シネマファシスト第55回
9月号
シネマファシスト第56回
10月号
シネマファシスト第57回
11月号
シネマファシスト第58回
12月号
シネマファシスト第59回
2007年1月号
シネマファシスト第60回
2007年2月号
シネマファシスト第61回
2007年3月号
シネマファシスト第62回
2007年4月号
シネマファシスト第63回
2007年5月号
シネマファシスト第64回
2007年6月号
シネマファシスト第65回
2007年7月号
シネマファシスト第66回
2007年8月号
シネマファシスト第67回
2007年9月号
シネマファシスト第68回
2007年10月号
シネマファシスト第69回
2007年11月号
シネマファシスト第70回
2007年12月号
シネマファシスト第71回
2008年1月号
シネマファシスト第72回
2008年2月号
シネマファシスト第73回
2008年3月号
シネマファシスト第74回
2008年4月号
シネマファシスト第75回
2008年5月号
シネマファシスト第76回
2008年6月号
シネマファシスト第77回
2008年7月号
シネマファシスト第78回
2008年8月号
シネマファシスト第79回
2008年9月号
シネマファシスト第80回
2008年10月号
シネマファシスト第81回
2008年11月号
シネマファシスト第82回
2008年12月号
シネマファシスト第83回
2009年1月号
シネマファシスト第84回
2009年2月号
シネマファシスト第85回
2009年3月号
シネマファシスト第86回
2009年4月号
シネマファシスト第87回
2009年5月号
シネマファシスト第88回
2009年6月号
シネマファシスト第89回
2009年7月号
シネマファシスト第90回
2009年8月号
シネマファシスト第91回
2009年9月号
シネマファシスト第92回
2009年10月号
シネマファシスト第93回
2009年11月号
シネマファシスト第94回
2009年12月号
シネマファシスト第95回
2010年1月号
シネマファシスト第96回
2010年2月号
シネマファシスト第97回
2010年3月号
シネマファシスト第98回
2010年4月号
シネマファシスト第99回
2010年5月号
シネマファシスト第100回
2010年6月号
シネマファシスト第101回
2010年7月号



TOP&LINKS | 甘い生活苦 | Kim's Cinematic Kitchen | シネマ ファシスト | wann tongue | 読本 十人十色 | 映画館ウロウロ話 | 映画館イロイロ話 | GO!GO!映画館 | CAFE | BBS | ABOUT ME