第103

9月号

シネマ ファシスト 第103回 2010年9月号

 今月も休載させていただきます。


●市井義久の近況● その103 2010年9月

 今年も又8月25日から、35回目の湯布院映画祭であった。3回から32回まで、連続して30回も出席していたのに、今年も参加することができなかった。今年は昨年と違って観たい作品が多かったので残念である。同様に映画祭とは切っても切れない関係にある温泉も、昨年の3月以降出かけていない。同じように残念である。しかたがないので8月27日にはやばやと送ってもらったプログラムを読みながら、手元にある女性誌の温泉特集も合わせて読み出した。湯布院はよく特集されている。その中で湯布院の温泉旅館と言えば、玉の湯、亀の井別荘、無量塔。私はその中に夢想園も加えたい。初めてそれぞれの風呂に入ったのはいつのことだろう。玉の湯には故南俊子さんが宿泊していたので、お願いしてお風呂に入れてもらった。1人では広すぎる部屋だからずっといたらと言われ何回も入った。亀の井別荘は中谷健太郎さんに頼んで入れてもらった。無量塔は私が初めて湯布院へ行った頃は食事処で食事はしたが、それ以降もお風呂は入っていない。夢想園は故田村孟と入った。もちろんその頃は、今もそうだが立ち寄り湯などという制度は無い。夢想園だけは今では立ち寄り湯制度がある。

 私が初めて訪れた1978年、映画は好きであったが温泉はそうでもなかった。しかしそれ以降、湯布院では映画と温泉、両方を楽しみにしている。初めて行った頃、宿泊している訳でもないのに、お風呂に入るなんて、ずいぶんと図々しいと思うが、なんせ28歳である。その後玉の湯だけには宿泊している。

 全国には4,800の温泉と50,000軒の温泉宿があるそうだが、湯布院及び前記の3つの旅館はよくメディアの温泉特集に登場する。それ以来湯布院では30年間、行った時は必ず宿泊できなくともお茶と食事だけはその3つで体験するようにしている。(無量塔には食事処は無い。)だからメディアでの露出は当然と思う。それは1つはストーリー豊かな温泉地、及び宿であること。主催者(経営者)と参加者(客)が共に織り成すストーリーがかけ算となって発信力が強い。湯布院、今では由布院という街の由来、それぞれの宿のたたずまい、そして客の反応、それらの伝播力が力強い。主催者の声が聞える街であり宿である。宿はそれぞれ中心的な人物がまだ現役なので、私はこうしたいというのが明瞭である。参加者はそれを支持するかどうかである。玉の湯の溝口薫平さんにしろ、亀の井別荘の中谷さんにしろ、言っていることがわかり易い。いや言っていることがストレートである。わかり易くなければ人には伝わらない。あとは何よりも気を使わなくてすむことである。客が気を使う店とか旅館もあるが、何よりも勝手にして下さいというもてなし方が心地良い。「温泉は湯、それに尽きる」と言うが、毎日のお風呂で肌がツルツルになることはないが、湯布院のツルツル感はたまらない。私は自分で自分の肌をなでている。それが多くの媒体に取り上げられる理由である。

 ちなみに現在では、市は由布市、駅は由布院、町は湯布院である。全国の4800の温泉のうち、私が行ったことのあるのは1%にも満たない。



市井義久(映画宣伝プロデューサー)

1950年新潟県に生まれる。 1973年成蹊大学卒業、同年株式会社西友入社。 8年間店舗にて販売員として勤務。1981年株式会社シネセゾン出向。 『火まつり』製作宣伝。
キネカ大森番組担当「人魚伝説よ もう一度」「カムバックスーン泰」 などの企画実現。買付担当として『狂気の愛』『溝の中の月』など買付け。 宣伝担当として『バタアシ金魚』『ドグラ・マグラ』。
1989年西友映画事業部へ『橋のない川』製作事務。 『乳房』『クレープ』製作宣伝。「さっぽろ映像セミナー」企画運営。 真辺克彦と出会う。1995年西友退社。1996年「映画芸術」副編集長。 1997年株式会社メディアボックス宣伝担当『愛する』『ガラスの脳』他。

2000年有限会社ライスタウンカンパニー設立。同社代表。

●2001年 宣伝 パブリシティ作品

3月24日『火垂』
(配給:サンセントシネマワークス 興行:テアトル新宿)
6月16日『天国からきた男たち』
(配給:日活 興行:渋谷シネパレス 他)
7月7日『姉のいた夏、いない夏』
(配給:ギャガコミュニケーションズ 興行:有楽町スバル座 他)
8月4日『風と共に去りぬ』
(配給:ヘラルド映画  興行:シネ・リーブル池袋)
11月3日『赤い橋の下のぬるい水』
(配給:日活 興行:渋谷東急3 他)
12月1日『クライム アンド パニッシュメント』
(配給:アミューズピクチャーズ 興行:シネ・リーブル池袋)


●2002年

1月26日『プリティ・プリンセス』
(配給:ブエナビスタ 興行:日比谷みゆき座 他)
5月25日『冷戦』
6月15日『重装警察』
(配給:グルーヴコーポレーション 興行:キネカ大森)
6月22日『es』 
(配給:ギャガコミュニケーションズ 興行:シネセゾン渋谷)
7月6日『シックス・エンジェルズ』
8月10日『ゼビウス』
8月17日『ガイスターズ』
(配給:グルーヴコーポレーション 興行:テアトル池袋)
11月2日『国姓爺合戦』
(配給:日活 興行:シネ・リーブル池袋 他)

ヨコハマ映画祭審査員。日本映画プロフェッショナル大賞審査員。

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