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シネマ ファシスト 第104回 2010年10月号 今月も休載させていただきます。 | ||
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●市井義久の近況● その104 2010年10月 8月23日夜、京王線新宿駅のホームで人と人がぶつかり合い1人がホームから転落して死亡したという記事をしばらくしてから読んだ。ぶつかった人の住所が日野市南平とあったので、古い記憶がよみがえった。 42年前に私が住人であった住所である。転職してから今まで会社は5つ目であるが、すべて始業時間は10時以降、通勤ラッシュはあったことがない。しかし南平に住んでいた予備校生の頃、代々木まで行くのに南平7時くらいの電車に乗っていた。田舎から出て来たばかりの18歳にとって、毎日の通勤ラッシュは耐えがたいものであった。通勤地獄とはよく言ったものである。それ以降、通勤ラッシュとは関係のない時間帯に通勤しているので、よけい、南平、京王線新宿駅はよく覚えている。その事故の当事者がたまたま南平に住んでいたというだけだが、普段思い出すことのないその地域を42年ぶりに鮮明に思い出した。 思えば通勤ラッシュと関わりのないサラリーマン生活は幸福である。40年間、時差通勤、フレックスタイム、労働裁量制、在宅勤務と色々なスローガンはあったが、たまに乗る朝の電車は昔通りである。時の為政者があまり感心がないのであろう。ラッシュで人が死ぬ訳ではないし、引っ越しすれば良いという認識なのであろうか。しかしわずか1年間の通勤ラッシュを経験しただけで、8時、9時スタートの会社はやめようと思ったのは私だけではないと思う。 48年前私は東京生活をこの南平からスタートし、今住んでいる所で11ヶ所目である。48年間で平均4年、引っ越し貧乏である。 | ||
市井義久(映画宣伝プロデューサー) 1950年新潟県に生まれる。 1973年成蹊大学卒業、同年株式会社西友入社。 8年間店舗にて販売員として勤務。1981年株式会社シネセゾン出向。 『火まつり』製作宣伝。 キネカ大森番組担当「人魚伝説よ もう一度」「カムバックスーン泰」 などの企画実現。買付担当として『狂気の愛』『溝の中の月』など買付け。 宣伝担当として『バタアシ金魚』『ドグラ・マグラ』。 1989年西友映画事業部へ『橋のない川』製作事務。 『乳房』『クレープ』製作宣伝。「さっぽろ映像セミナー」企画運営。 真辺克彦と出会う。1995年西友退社。1996年「映画芸術」副編集長。 1997年株式会社メディアボックス宣伝担当『愛する』『ガラスの脳』他。 2000年有限会社ライスタウンカンパニー設立。同社代表。 ●2001年 宣伝 パブリシティ作品 3月24日『火垂』 (配給:サンセントシネマワークス 興行:テアトル新宿) 6月16日『天国からきた男たち』 (配給:日活 興行:渋谷シネパレス 他) 7月7日『姉のいた夏、いない夏』 (配給:ギャガコミュニケーションズ 興行:有楽町スバル座 他) 8月4日『風と共に去りぬ』 (配給:ヘラルド映画 興行:シネ・リーブル池袋) 11月3日『赤い橋の下のぬるい水』 (配給:日活 興行:渋谷東急3 他) 12月1日『クライム アンド パニッシュメント』 (配給:アミューズピクチャーズ 興行:シネ・リーブル池袋) ●2002年 1月26日『プリティ・プリンセス』 (配給:ブエナビスタ 興行:日比谷みゆき座 他) 5月25日『冷戦』 6月15日『重装警察』 (配給:グルーヴコーポレーション 興行:キネカ大森) 6月22日『es』 (配給:ギャガコミュニケーションズ 興行:シネセゾン渋谷) 7月6日『シックス・エンジェルズ』 8月10日『ゼビウス』 8月17日『ガイスターズ』 (配給:グルーヴコーポレーション 興行:テアトル池袋) 11月2日『国姓爺合戦』 (配給:日活 興行:シネ・リーブル池袋 他) ヨコハマ映画祭審査員。日本映画プロフェッショナル大賞審査員。 |
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